毎日、腕時計をしていたら いつのまにやら バンドが痛んでしまって 穴もふくらんだし ベルトも切れてしまった。 バンドを探しにいったが 世の中はバンドも さまざまである。 ネットでも 超高級品から普及品までさまざまだ。 超高級品のどこがいいのか ようわからんな。 そんなにバントにお金はかけたくないのだ。 いっそ時計を改めて新調しようか。 と思っていたけれども 思いきって買ってしまった。 という程の買物でもないが。 モレラートの三千円でも高く感じてしまうので それ相応のものである。 世の中には安いものから 高いものまで色々やな。 もともと安いものを高く売っているのか 本当に高いのかよくわからない。 サイズも色々やし 自分のサイズは14mmであるから 小さめである。 バンドを交換してみたけれども 専用のバネ棒外しの工具を 使ってもなかなか外れてくれない。 コツがいるのだろが ベルトの隙間が足らないというのか きっかりと入っているので とっかかりに きちんと、はまらないのである。 やっと外れたら バネ棒が飛んだと思ったら 外れたベルトの中におさまっていたので 安心である。 こりゃ素人にはなかなか簡単ではないな。 時計屋さんというのか ベルト屋さんは こういう作業を毎日のように しているのだろう。 ベルトを交換してみると なるほど、これまでの腕時計とは 雰囲気が違ってみえる。 さって、次は何年後に替えるかな。 一年くらいだろうか。 なんでバンドって高いのだろうか。 工芸品のように 手作りからかいな。 自分で作れそうな感じもしないではないが。 革製品を自己流で加工して 作れそうであるけれど 縫製作業というのか ミシンがいるのだろう。 世界でたった一つのバンドか。 まあ自己満足やな。 しかし バンドを替えたら これまでは水色のバンドやったので オモチャみたいな可愛い感じの時計やったのが 茶色になって 大人っぽくなったようだ。 年中、はめているのであるが 冬場にははめているのに 気がつかれないけれど 半袖の夏は よく言われるのだ。 「可愛い時計しているね。」って。 今年の夏には何と言われるかな。 「シックな大人っぽい時計をしているね。」 なんて言われるかいな。 時計を見ているのか バンドを見ているのか。 ようわからんが。 |
今年のカレンダーを見ると 三連休は少ない。 今回の連休の次は 五月の連休まで連続休暇はない。 カレンダーのとおりに仕事は あるのであるから 随分と働き詰めになるのである。 今日は体調を回復するための 休養に一日を費やして時間は 過ぎていったし 明日と明後日はどうしようか。 特に予定がないので またもや図書館に行って 借りた本を読んでは 寝る ぐうたらな生活になるだろう。 とりあえず 村上龍とか 村上春樹とか 借りてきたけれども なんだか肌に合わないな。 かといって 池波正太郎やら 藤沢周平やらの 剣術ものは はたして読む力が自分にあるのだろうか。 とりあえず ぐうたらに過ごすことが 充実した生活かな。 |
冬には鍋料理がいい。 と思っていた。 もう20年以上も前に モツ鍋がブームになった。 正月にモツ鍋を20年ぶりに居酒屋で 食べたのであるけれども こんなに美味しかったっけ。 モツというのは柔らかくてコリコリした感じではなくて とろけるような感じである。 もう一回食べてみたいなと思いつつ スーパーでモツ鍋用のモツを買って 調理をしてみたけれども 全然まずい。 コリコリしすぎている。 なんだか噛むのも大変である。 ガムを噛んでいるのか ゴムをしゃぶっているかの如く 美味しくもなんともない。 調理の仕方がまずいのか 素材が良くないのか これはもう当分の間は モツ鍋というのは遠慮したいな。 そもそも自分で料理なんかしないのに そういう慣れない事をするから いけないのである。 普通にピザでも食べていたほうが ずっとよかった。 とにもかくにも 慣れないことをするのは よくない。 料理やら調理やらは やはり専門家に任せておいて 出来合いの惣菜を食べていたほうが いいようだ。 たぶん、なんで不味かったというと 煮込む時間が足らなかったのではないか。 モツ鍋セットの調理法の欄に 「やわらかくなったら出来上がりです。」と 書かれてあったけれども 具体的な時間が書かれてはなかった。 せいぜい煮込んで10分くらいだったのが 失敗だったかな。 もう少しスープがなくなるまで 30分くらい煮込めばよかったのだろうか。 そういうふうに研究をしていると 料理は少しは上達するだろうけれども 簡単で、安くて、早くて美味しくないと ビギナーはすぐに挫折してしまう。 とにもかくにも 当分の間は料理はしないだろう。 やわらかく、ふんわりした食感のものが 自分には合うのかな。 となると ピザになるな。 |
昔は村上龍とか村上春樹とか 読んでいたけれども 最近は、本を読むことすらなかったので 活字を読むというのが苦痛というのか 文章を追って理解するという能力が落ちてきたというのか だんだんと本から遠ざかっていった。 大阪に居るときは 本なんか一冊も読まなかったけれど 連休があってすることもないとなると 本ばかり読んでしまうようになった。 村上龍の本は 大昔に 例えば「トパーズ」であるとか 「限りなく透明に近いブルー」とか 「恋愛の格差」だとか 「69」など読んだ記憶があるが 内容はあまり覚えてなくて題名を 少し覚えているくらいだ。 暇つぶしに読んだだけだ。 最近の作品というのは読んだこともない。 「半島を出よ」というのは まだ読み出したばかりであるけれども この本は地元が舞台になっている作品であるし 本のカバーの航空写真には 自分の家も米粒のように 映っている。 村上龍さんももうだいぶ歳をとって テレビやらに出ているスーツ姿を見ると 反体制派の若かりし頃のイメージは なくて国際的な活動派というのか 経済通というのか、サッカー好きというのか グルメ派というのか なんだかだんだんと昔から変化していっている。 とりあえず「半島を出よ」を 1/4くらい読んだところであるけれども 読み通す力があるだろうか。 しかし膨大な本の中から なんとなく縁がありそうな 本を選択してしまったわけで 何か惹かれるものがあるのだろう。 とりあえず 福岡市が舞台になっている事で 選択したようなものかもしれないな。 |
隣のヒトは何するヒトぞ。 都市に住んでいれば 特に集合住宅に住んでいたら もう誰が住んでいるのかは まったくわからない。 東大阪の高井田に潜伏していた 女性信者はどんな生活をしていたのだろうか。 東大阪の高井田のマンションやったか。 ライフがスーパーとしてあるし 案外、そこいらで買物をしていたかも。 大阪市内はすぐ隣であるし 奈良方面も近鉄で30分もかかりはしない。 整骨院に勤めていたというけれど 言葉はどうだったのだろう。 河内の言葉を話していたのかいな。 高井田か。 なんやら案外生活圏内に 居たんやな。 知らん土地で生活して 心細くなかったやろうか。 まずは言葉というのか 話されている言語の抑揚が違うし 関西人というのは 日常会話が漫才やし すぐに突っ込んでくるし どう患者さんと どう受け答えをしていたのやろうか。 とにもかくにも 他の土地に行ってみたら 故郷がなつかしくなるものだ。 思えば遠くに来たもんだ。 と口ずさんだものであるが 高井田やらなつかしい地名が 出てくるものやから。 山口今日子 吉川祥子 色々偽名を名乗って 混乱せんやろうか。 少なくとも 関西と関東では まったく言葉の抑揚が違うし 周囲のヒトは このヒトはどこから来たのやろうか と親しくなれば思う筈である。 しかしそこまではならないように カーテンで常に心を閉ざしていたんやろうな。 身元がばれんように 常に周りに注意をして なおかつ自然にということか。 ライフのポイントカードは 作っていたやろか。 住所や電話番号を書かんといけんしな。 作ってなかろうな。 |
昨日は夜、寝ようとしたら 咳がでる。 喉の調子がまた悪くなってきた。 メジコンを飲んでしばらくすると 咳も収まってきたし いつのまにやら寝入っていた。 咳がでると咳のエネルギーで たんなる空咳なのに体力がいる。 寝られなければ翌日の仕事に響いてしまう。 なんで咳が出るのかよくわからない。 喉の繊毛運動というのか なにか異物を吐き出そうとするメカニズムだろうが。 とりあえず今日も早めに寝ようと思うが あの「半島を出よ」を読んでいたら また寝付けなくなるかいな。 「赤いほっぺの女性兵士なんか 日本やったら田舎に行っても おらんばい。」というところまで 読んだところだ。 北朝鮮の反乱軍から占領されて しまって これからどんなふうに 展開していくやろうかな。 読んでいて自分の地元の地名が やたらに出てくるし 小説なのに 現実感をもってしまう。 よく福岡市の事を 研究しているというのか 住んでいたのかと思わせるほどの 描き方であるから。 残酷な描写も多くて この恋愛サイトには 向かない話題やなあ。 というんか 恋愛サイトというのか 出会いサイトというのか そりゃ空想やナア。 出会いなんか何にも ありゃせんばい。 ウィーンフィルハーモニーの話題でもしようか。 今日はなアクロス福岡で ニューイヤーコンサートや。 すばらしい音楽やらの演奏会やナ。 皆、拍手してのりにのって やっぱなこういうのは お金、持っとかんといけんわけやない。 運が良ければいい。 一万八千人応募して 千八百人や抽選で当選や。 大観衆やな。 手拍子たたいてわっはっはや。 帰りにはお土産ももらえたんや。 コカコーラやらジョージアやら なんや知らんけれど 配りまくって。 帰りの出口に観衆が殺到したけれど こんな所で もしテロが起こったら 機関銃を放たれたらどうなるやろうか。 そんな事が書かれているのが 今読んでいる本の内容だ。 そんな事が起こらないように。 来年もウイーンフィルコンサートが 聴けますように。 来年は あなたと一緒に聴けますように。 そこのあなたですよ。 |
AKBって実は よくは知らん。 踊ったり、歌ったりする 小便くさい小娘の集団やろな。 あんなのどこがいいのか さっぱりわからへん。 一人だけ 名前は知っとるで。 大島優子やないで。 通称しか、知らへん。 「あっちゃん」や なんやら前田敦子とか いう名前や。 毎日、毎日、その女の ブログがトップページに出るな。 なんでやろうか。 そりゃ決まっとるがな。 このサイトにアクセスする際にな 「あっちゃん」と検索するんや そしたら たいがいこのお見愛サイトが出るんやな。 でもなミスタッチでな 「あっちゃnn」とかすると 前田敦子のブログが 出るんやな。 写真も出るから すぐにああ、あのオナゴや。 とピンとくるんやな。 だいたい20歳超えると もう大人顔になってくるというのか もう少女の顔立ちを卒業して 将来のバアサンの顔が 予想できるようになるな。 キャーキャー言われて あと何年やろか。 小娘はまだまだ小娘や。 はよ方向転換して アナウンサーでも なったほうがエエで。 前田敦子はんの ブログを読んでみたで。 「成人式をむかえました。」 まじめすぎな。 あくどいオナゴにならんと いかんで。 芸能界で生きていくんやらな。 顔のいいオナゴは 世界が違うやから。 見る世界が 鼻ペチャとは違うから。 もっと毒を含んだ マムシのような 女にならんと あきまへんで。 秋元康の嫁を ぶんとるような 顔で迫っていかな。 高井麻巳子 可愛かったで。 たしかに 今はどうやろか。 前田はん。 ダルビッシュの嫁を 見やんさい。 手本になるで。 あんた いつ秋元はんと 結婚するんやろな。 可愛さで 迫っていきなはなれ。 男はコロリや。 ほんまの姿は 決して見せたらあかん。 それが 女優や。 演じることやで。 |
最近、ガスの調子がよくないのだ。 どうも下腹部から下にかけて 出具合が良くないというのか 二年前に医師から云われた ポリープが発達しているのではないか。 そう考えるとどうも仕事に身は入らない。 二年前のポリープは切除せずに そのまま放置可ということだったが はたして明日の精密検査で どのくらい成長しているのか。 もしもポリープが成長しているならば その場で切除手術であるし 一週間は入院をしないといけないだろう。 ポリープが癌化していれば それはまた別の問題であって 抗生剤の投与であるとか 放射線の投射であるとか レーザーによる切除とか 色々と考えられるが 癌になれば 今の時代は早期発見は 生存率は高いけれども ステージが上がれば 転移の可能性もあるし 余命いくばくかも考えられる。 とりあえず明日は内視鏡での 検査であるけれども 三日前から食事制限に入るし 検査12時間前、すなわち 午後8時よりいっさい飲食物禁止なので とりあえず「うどん」だけ食べた。 そんなこんなで はたして明日の検査はどうなるだろう。 場合によっては 月曜日から長期入院になるかもしれない。 そんな事を 上司は申している。 自分も暴飲暴食は謹んで 体を大切にしないとな。 |
金曜日の朝は トイレが水浸しになっていた。 トイレの中で人間がおもらしをしたのだろうか。 誰もそんな事はしておらん。 温水便座も寒さで調子が悪いのだろうか。 便座が冷たくなっていたり 水の出が悪かったりと。 温水便座というのも こうも調子が悪いとなると TOTOの評判が落ちるだろう。 突然であるが まったく機能しなくなったりと 何でやろうか。 夜中に誤作動をして 水を噴射なんか とんでもない事を するものである。 朝から、床の水をふいて マットを洗って 乾燥させてと 後始末をどう考えているのかいな。 温水便座の野郎は。 手が焼けるいたずら小僧のようだ。 小便小僧とは温水便座のことだ。 今日も調子が悪くて お尻を洗おうとしたら 水が噴射してきて 冷たいやないか。 便座も冷たいし 死んでいるようだ。 パネルのスイッチを確認しても 異常はないし 本体の異常なのだろう。 数年で壊れるなんて toto駄目になったかと。 10分くらいしたら 正常に戻っている。 便座は暖かくなり 水もお湯になって お尻を洗ってくれる。 治ってくれれば 文句はないけれど 気分屋では困るのだ。 しっかり仕事をしてくれないと。 君の仕事はお尻を洗うことやぞ。 しっかりしてくなはれ。 |
ノルウェイの森を読んでいて 気がつくのは 時代設定がもう40年も前の 話のことである。 筆者はもう還暦に近いだろうし 一般の会社ではもう定年ということで 現役から退こうとする年齢の筈である。 村上春樹さんの本を読んでいると 都会的というのか 村上龍のように 暴力的なシーンや戦争やら武器やらは 出てこないし 戦慄を覚えるほどのインパクトというのは 今のところはない。 優しいというのか 柔らかというのか 春の日差しの中で読むようなやわらかい本。 同じ村上でもたいした違いである。 「半島を出よ」は とうとう読了したけれども こういうものを読んでいると いつの日かくるべき事態に備えて 枕元に 非常用の常備袋を設置せねば。 水やら食料やら 最低限度に必要な物である。 マッチも、ロウソクもいるだろうし 震災が起きた時の為の 準備というようなものである。 消費期限をもたまにチェックしないと いけないようであるが。 覚書として 「生存術教書」を参考にしておこう。 巻末の参考資料に出ていたけれど。 しかし村上龍さんというのは すんごい程の量の本を 読んでいるんだ。 この世には本はあふれているけれども はたして何を読んでいいのかいな。 ノルウェイの森に出てくる台詞で 作者の死後30年過ぎないと 読む価値はないという。 そんな事を言っていたら 現代に出版されている本は 意味がないということだろうか。 本ばかり読んでいて何の意味が あるかわからない。 さてさて今年はどんな年になるだろうか。 とりあえず 読書というのは 生きていく歩いていくための 杖みたいな物だ。 ノルエウィの森なんか読んでいて なんだか 平和すぎるなと 思いながらどこまで読むだろうな。 洒落た文章で 日常的で なんだか戦争もない 平和な世界の オトギバナシという感じである。 過去への夢想というのか。 |