西鉄バスは 日本一保有台数が多いバス会社として 知られている。 西鉄は西日本鉄道の略だろう。 近畿に行けば 近鉄バスだろうし 中部に行けば 名鉄バスやろうか。 まあバスに乗ることは滅多にない。 今日は久しぶりに乗ったけれども 時刻表というのは あてにならんな。 待てども、待てども 来やしない。 自転車だったら目的地にとうに 着いているだろうが バスなんか乗らなきゃよかった。 台風の影響で 雨に濡れてまでは 自転車には乗りとないな と思ってバスに乗ったけれども バスというのは 当たり前やけれども 知らんヒトと同じ空間に いないといけない。 ケータイで大声で喋る 中学生?か 傘をさしたまま 乗車口から 中に入ってくる 中学生? 咳き込みはじめて止まらない 茶髪の姉さん。 とにもかくにも こういう手合いの乗ってくる バスにはもう当分の間は 乗りたくない。 やっぱり 自転車がいい。 |
一ヶ月前に比べると 格段の涼しさである。 日の出も遅くなったし暮れるのも 早い。 このまま秋に突入してしまうのか。 人生が春夏秋冬とすれば いまは秋の前節なのか。 いくつまで生きるかわからないが そう永くはないだろうと。 地位も名誉も金も要らないし 欲しいのは時間だけである。 ヒトとの関わり合いは 面倒なだけであるので 交際嫌いで 通したい。 そういう事で あと二日間の連休は 孤独に本とトモダチ関係で 虫の音色と過ごしたい。 |
朝、起きてから 散歩をして 緑の広場に着いて 虫の声を聞きながら 福岡県民体操をしていたが 左肩が痛くて回せない。 今日は会社は休みたいなと 思いつつ、 少しずつ体をほぐしながら なんとか 持ちこたえた。 四十肩とでもいうのか。 アシタからの三連休を どう過ごすか。 休んでいるのでなくて 体を動かして 痛みをなくそうと思う。 |
肩が痛い。 左肩が痛い。 なんかひねったか。 日ごろ、重たいものは持たないのに 急に筋肉を使ったためか。 佐川急便には入れないな。 よくもまあ一日中、走って 重い荷物を運んで 雷の日も 台風の日も 真夏の暑さも関係なく 走り回っている。 天気予報なんか見ないそうだ。 暑さも寒さも関係なく 走り回るのが生業やから。 というのか帰りが遅いから テレビなんか見れない。 と佐川の24歳の飛脚人は 申しておりまする。 佐川急便の制服を 脱いだら 普通の女の子だけれど。 |
自転車のチェーンが 中年の腹のようにたるんできた。 なんでかわからんが 自転車屋いわく、車輪がぶれている。 という。 ようわからんが、たるんだチェーンを 直すのではなくて 車輪の位置を調整したように思えた。 チェーンがゆるんだので チェーンを詰めて調整するのでないようだ。 調整代は500円というから 安いものである。 そういうことで ばんばん飛ばしていると 路面にキラッと光るものがあった。 拾ってみると 平成24年の100円硬貨である。 他の100円と比べても 光沢が新しいが 路上で踏まれたのか傷が目立つ。 拾って 財布に入れたが どこかにいった。 平成24年か。 昭和からすでに 24年。 平成生まれが 社会にどんどんと 進出してきている。 その人たちも 結婚して子供を つくるのだろう。 なんか置いてきぼりやな。 古い10円硬貨のような 存在になってしもうたな。 時間ばかり過ぎてな。 |
今日はニュースを見てても 9.11の事は忘れられて話題にも ならないな。 まあいいか。 もう秋だ。 食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。 今日は、会社へ行く途中 自転車のチェーンが外れて 往生こきました。 昨日は高倉健が 電動補助自転車に 乗っていた映像を見て イメージ落ちた。 81歳で ピストバイクとか 乗って欲しい。 ママチャリは格好よくない。 草刈民代が Gパン着てテレビに出てたが これも格好悪い。 プリマドンナは 野良着というのか普段着を 見せたらいかんのだ。 あんまり他人の格好について とやかくいう資格なんどないが もう秋やで。 裸で寝る季節は遠ざかっている。 秋のファッションを考えて 高倉健も行っている シマムラにでも 行ってみようかいな。 |
今日も高倉健の特集がある。 映画はもはや斜陽産業であるし テレビを通じて半分映画の宣伝を したいのだろうか。 素顔の高倉健さんを いろいろなヒトが 語るそうであるが 俳優であるから 演技した映画の姿はあくまでも 仮の姿だろう。 本当の姿なんか 知りたくもないのであるが。 銀幕の中のカッコいい姿というのか イメージと逆のような 言動を面白がって取り上げて欲しくないのだ。 あまり喋るとイメージが崩れるから 黙っていてほしいのだ。 喋りたいことがあったら 本でも書いて 文章で表現したほうが よかろう。 インタビューに答えている 顔の特に目を見ていると 言葉を選びながらも 目がいったりきたりしていて 本音の事を喋っていないというのか 言い回しを考えながら 演技をしているようにも 思えるのである。 俳優というのは 一種の嘘つき人間というのか 演技性性格であるから 計算高い人間でないと 出来ない商売だと 思うのであるが。 その稼業を50年も やっているのだから。 彼が言っていたことで ヤクザ映画の中で あまり身が入らないシーンだったのだが 観客が自分の演技をみて 映画を見る前と見た後で 性格が変わったように 見えたというくだりであるが なんで真剣にやっていないのに まあ真剣に見えるように 演技をしたにもかかわらず 観客がこうも反応してくれるのか。 とても不思議だったそうである。 今日の話はどういう話なのだろうか。 演技というのは 一種の嘘つきというのは 言い過ぎかもしれないが あと何年この 稼業をしていくのだろうか。 今日はまたその宣伝を 見てみよう。 私も騙されてみたい 男なのだ。 撮影協力に「福岡市立総合図書館」 とテロップが出たが なんやろうか。 もしかしたら 高倉健が主演で出た 中国映画の映像だろうか。 気になるな。 |
高倉健を見たいがために 「ニコニコ動画」で 黄色いカンカチを見る。 九州男児ぽい感じである。 たしかに炭鉱町の川筋気質は もはやほとんど残ってなかろう。 福岡市も姪浜炭鉱であるとか 鳥飼炭鉱であるとか 周辺では宇美町で あるとかは かつて炭鉱の町であったけれども もはやその面影はない。 夕張の町ももう財政破綻をしてしまった。 高倉健も81歳であるし そう永くはないというのは 昨夜のテレビの中で語っていたことだ。 時代とともに移り変わっていくだろう。 かつての炭鉱の町が生んだ 大スターたちも そう永くはない運命である。 となると これからはどういう 心に残る俳優が出てくるだろうか。 本人の出自は関係ないというが 生まれた街の空気は 本人の性質にも少なくとも 影響しているはずである。 都会がどこでも似たような 空気になっていても その土地の歴史はあるはずだから。 まあ 博多っていう所は 歓楽街の中洲かいな。 まあそげんいってもさ 福岡市となると あまりに範囲が大きすぎる。 博多の人間っていったら 遊び人ちゅう感じがするとたいな。 炭鉱の町はもはや 消えてなくなっとうし あげなふうな男前の感じの 男は遊び人ふうからは 生まれてこんと思う。 労務者というか 労働者というのか 筋肉労働者というのか パソコンもケータイも まったく使わんような 男なんか 今時おらん。 男前に育つには 難しか環境にあるったいな。 なんか遊び人っちゅう感じの 男はやまほどおるけんどな。 |
高倉健さん もう老人である。 毎日、散髪か。 髪は綺麗である。 見せる商売であるが 毎日、床屋に行くなんて かつて逸見アナがそうだったが もうあの世のヒトだ。 髪の手入れなんか 三ヶ月に一回か。 映画館なんてもう何年も 入ったことはない。 多分、明日は「あなたへ」を 見たさに映画館に行くヒトが 多いだろう。 NHKが宣伝するから。 |
雨の通夜である。 通夜に行く道のりも長い。 会社で仕事を通常とおりこなして それから通夜である。 喪服の黒はこの季節はまでだ暑苦しい。 朝方は喪服は日光を浴びて汗だくになり 夕方は雨の中を濡らすわけにはいかず 喪服の格好は神経を遣う。 雨の中を斎場までの道のりは 長い。 斎場は都市からかなり離れた場所である。 斎場にとっては便利なことに すぐ隣が火葬場である。 でもそんな所ってかなり 遠いのである。 道すがら雨に降られて 汗まみれになって 斎場まで通う。 会社で通常のとおり仕事をこなして 雨の中を汗をまた流して 何のために行くのだろうか。 顔つなぎのためだろうか。 通夜って夜通し、ご遺体を守っているから 通夜なのだろうけれども 何時までが常識範囲なのだろうか。 遺族も疲れているだろうし 寝たいだろうし 風呂にも入りたいだろうし。 でも遠方から来る弔問客も そういう気持ちの中を 来ているのだ。 何時がリミットなのかな。 自分は午後8時に着いたけれども 仕事をしていたらそんな時刻になるのだ。 まあ常識の範囲内で その位の時刻はよかろう。 でもこれが9時過ぎると 相手方も迷惑だろう。 疲れているのはお互い様であるから。 とにもかくにも 雨の中の弔問。 疲れてしまう。 |