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おじいちゃんが日本に来たのが、はっきりとは分からないが 1930年くらいだと聞かされた。 多分終戦前だったと思います。 釜山の近くから10歳の時に叔父と一緒に 山口県の門司港に来たそうだ。 当時の韓国は貧しく日本に出稼ぎを強いたげられたのだろう 何十万人という韓国人1世が日本に出稼ぎに来た。 僕はその孫になる3世です。 多分貧しく親から日本に出稼ぎに行けと命令されたのか、なんとなく想像はつくが、今では考えられない時代だったと思います。 場所は分からないが日本に来て炭鉱の仕事をしていたらしい。しかし日本に来た目的が勉強するため。 でも10歳のおじいちゃんには荷が重かったのか…。 韓国に帰る為に逃げて山口県の門司港へ一人で行ったらしい。 多分船で釜山まで帰れると思ったそうです。 しかし当時の日本も戦争で貧しい時代だったと思います。 その一人でいる時に日本人の方に拾われたそうです。 続 |
そう日本人の男性の方におじいちゃんは声をかけられたそうです…。 そして、その方夫婦に18歳まで8年くらい育てられたそうです…。 話しによると、当時ではかなりの財閥の家庭だったようで…。 当時牛乳風呂とかに入ってたとか…。 その方の家には息子さんがいなかったそうです…。 娘さんが何人かおられたと聞かされました…。 続 |
今の時代でも無償で食わして貰えるなんて… 当時日本もかなりの貧困な時代。 結論からすると、主人様はおじいちゃんを後取りにしたかったらしい…と聞かされました。 主人様は娘さんと結婚して後取りになれと言ったそうです…。 養子になることです…。 続 |
何回も釜山へ里帰りまでさせてもらったそうです…。 必ず帰る時は背広で帰ったと言ってました…。 ある意味本当にかわいがられてたんだなと思いました。 背広姿で里帰りするおじいちゃんを村の人達は出世したと… ちっちやな噂になったそうです…。 |
因みに、昨日はおじいちゃんの命日でした…。 『拾われた』。 うん、 あまり気にならなかった。 でも…最近は、おじいちゃんを拾ってくれてなんて優しい方だったんだろうとか想うことがある。 おじいちゃんも、もし生きていたら98歳。 その主人様も奥さんもすでに天国におられるが…。 例えおじいちゃんを養子にしょうという目論見があったにしろ、戦争中に朝鮮人を8年間育ててくれた… 感謝してますと孫の自分が言いいたい。 |
なぜ、おじいちゃんは断ったのか? 聞いた話しによると18歳の時に主人様の家を出たと…。 判らない…。 多分おじいちゃんにしか判らないのが答えだろう。 その時の状況、考え、心境様々あったと思います。 本人にしか判らないことってあるから。 主人様から正式に娘さんと結婚して後取りになれと…。 苦が重かったのか…。 |
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