『さあ/\日柄々々、さあ/\日柄と言うて、だん/\これまで話して置いた。話聞いて居るといえども、どんと運ばんと、身上より障りて尋ねる。世界一寸の事情、一時今から一時どうせいとも言わんと、一つ事情分かり難ない。今まあ刻限以て知らそう。今又話、かんろうだい珍しい事言うで。だん/\始め掛け。だん/\道分からんから遅れてある。世上の道皆世界にある。世界にあるものなら要らんものや。なれども長い道やで。一寸許してあるのや。これから神一条やで。実なる処かんろうだい。早や/\取り決め取り締まれ。難しいようにあるけれど、神が皆働く。何でもない、なれどもなかの道である。一寸許したもの、これまでの処迎い取りたる者もあるで。一人ではない。古きの理を失えば、皆自然と理を失うで。かんろうだい一条の道通れ。かんろうだい一条の話、又々刻限以ちて知らそうと、又々と。』(M21.06.03 おさしづ〔神様のお言葉〕) 皆様、今日はたいへん遅くなりまして、誠にすみません!!m(__)m 今日も1日よろしくお願いします!!m(__)m ひろ |
Bible.Proverbs(箴言) 20:4 なまけ者は冬には耕さない。それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。 今日も1日ありがとうございました!!m(__)m 皆様、おやすみなさい!!(+.+)(-.-)(__)..zzZZ ひろ |
『さあ/\日柄々々だん/\と言うて、これまで話て置いた。さあ話聞いてるであろう。先々幾重、どういう事も聞かす。一寸身の処へ早く急ぐ。一つの順序ある。障り身上一条、一つ尋ねゝばなるまい。まあ/\世界の道も運ぶだけ、皆一つの事情、よう聞いてくれ。一時今から一つの事情、どうせとは言わん。一つ事情分かり難ない。刻限理を以て話する。これまで急ぎ立てる理、早くかんろだい。珍し事言い掛け、又始め掛け。かんろだい一条、世界にある事は言わん。これから神の言うようする事、だん/\聞かす。だん/\経ち来たる、判然理分かり難ない。これから天理運ばねばならん。世界事情、世界ある道は要らんで。せいでもよいものや。通るに通られん。世上理に迫る。一寸一つのさしづ、いつ/\まで一つ事情、事情はかんろだい。早く成る成らんではない。連れて通る。世上の理、世界の理、この事は五十年以来一年理を見て、どういう分かり、古き者を迎い取り、一寸心に掛かる。一つの理治まる神一条。大切な理というは古き者や。新しき者や。一人ではない、皆いん ねん。古きの理失う、理失う。ようこの理聞かさねばならん。身に追々すみすみ、 心を以てかんろだい。理を聞かす。又々刻限待ちて知らそ。』(M21.06.03 おさしづ〔神様のお言葉〕) 皆様、今日は遅くなりまして、誠にすみません!!m(__)m 今日も1日よろしくお願いします!!m(__)m ひろ |
この世は、完全円満にできており、毛筋程も狂いのない理づめの世界である。ゆえに、成って来るすべての理(現象)は、すべてにおいて自分自身が前生前々生および今生において蒔いた種〔因縁〕通りに生じて来るものであるから、そのすべての理を受け入れて心に納め、納得、得心させていただくこと《たんのう》が大事なことだと思います。 そうして、日々を《たんのう》させていただいて過ごしてゆくことを続けてゆくことにより、すべての悩みや苦しみ、迷いや不安などが無くなって来る。 そしてかつ、一切の物事に不足をしないで、すべてに感謝をさせていただくようになって来ると、徐々に悪因縁は納消されて、心安らかな平和な楽しい陽気ぐらしの境地にたどり着けることになる。 『“たんのう”は前生因縁の“さんげ”』であり、究極の悟りなのであると思います。 『遠離一切顛倒夢想究境涅槃』(般若心経より) ひろ 今日も1日ありがとうございました!!m(__)m 皆様、おやすみなさい!!(+.+)(-.-)(__)..zzZZ ひろ |
『さあ/\いかなる処尋ねる/\、尋ねるから理を聞かそう。一つ誠という理を聞かそう。誠程強いものはない、誠は天の理である。誠であれば、それ世界成程と言う。天の理であるものを、どうせこうせとは言わん。心一つ改めて、どういう処も運び、何時なりとしょうほうに掛かるがよい。』(M21.06.02 おさしづ〔神様のお言葉〕) 皆様、おはようございま~す!!(^○^) 今日も1日よろしくお願いします!!m(__)m ひろ |
「足りない、足りない」というのは、‘不足の心’。 『有り難い、有り難い』というのは、“満足の心”。 人間は、今与わっているすべてのものに“喜び”、“感謝”させていただくのが、《たんのう》させていただくということなのです。 ゆえに、自分(自我)を捨て切って、精一杯、今与わっていること(仕事、役割)に打ち込むこと。それこそが、その人に与えられたミッション(使命)なのです。その与えられているもの以外に目を向け、何か違う、何か足りないというのは、‘不足の心’以外の何ものでもありません。 “青い鳥”は、あなたの心の中に住んでいるのです。 しかし、しっかりと“因縁の自覚”ができていないと、チンプンカンプンなことになってしまい、なんで自分は何もしていないのに、足が不自由なんだ!!というふうな‘不足’をしてしまうことになります。 “因縁の自覚”をさせていただくためには、まず最初に自分自身は神様の子供であるという“元の因縁(いんねん)”を悟らせていただき、そして、苦しみ悩みの原因は、いったいどこにあるのか???ということをしっかりと悟らせていただくことが大事なことなのです。 つまり、前生前々生において、自分自身が蒔いてきた埃(ほこり)の種(心づかい〔言葉や行動を含む〕)が、どのようなものであったのかをしっかりはっきりと認識させていただくことが、“因縁の自覚”の元となります。 例えば、僕自身を例にとると、先日書かせていただいた記事のように、「前生で私利私欲のために他人を妨害するということは、下肢の麻痺を招く」というエドガー・ケイシー氏の言葉や、理の親さんからお教えいただいた「足が不自由なのは、前生で人を倒して来たからだ」というようなお言葉を、心にしっかりと治めさせていただく。 そしてまた、自分自身でも‘はらだち’のほこりが、特に強いということは自覚させていただいているので、“立つ”という《つきよみのみこと》様の守護が欠けてしまっているのだなあというふうに悟らせていただいています。 こういうことが、はっきりとわかってくると、自然と“たんのう”をさせていただけるようになり、『今、自分が神様から与えられているすべてのことを“喜べる”ようになり』、そして、『すべてのことに“感謝”させていただけるというようになって来る』のです。そうなってくると、宇宙(この世)は、理詰めの世界であり、完全円満に出来ているということがわかって来るのです!!これは、般若心経の世界でもあるということが、理解できる(悟らせていただく)ようにもなって来るのです!! このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ この世は、理でせめたる(理詰めの)世界である。すべてのものごとは理(天の理=宇宙の道理)によって説き聞かすことにする。 これは、以前に「般若心経」のところで書かせていただきました、「この世界は完全円満に出来上がっている」ということと同じことではないだろうか!?と悟らせていただいています。 今日も1日ありがとうございました!!m(__)m 皆様、おやすみなさい!!(+.+)(-.-)(__)..zzZZ ひろ |
『さあ/\心を鎮めて、しっかり聞き分け。前々小人日々ます/\、又一つめん/\身上に尋ねるから諭す。内々聞き分け。何かの事聞き取るよう。前々最初、めんめん内で思やんが分かれば、世界治まる。十分たんのうが第一、世界の理を見ればたんのう出けよう。世界で呼ぶ名を出す。世上見てたんのう。早く見るよう、治めるよう。』(M21.05 おさしづ〔神様のお言葉〕) 皆様、おはようございま~す!!(^○^) 今日も1日よろしくお願いします!!m(__)m ひろ |
「『般若心経』の訳(現在の僕の悟り)[2]」 天理教 それが故に、『空』という意味において、物質・物体、感じる(感受する)こと、想うこと、行動すること、認識するということなどについては、すべて〈一定〉したものは何一つとして無い。 また、眼(見る=色)、耳(聞く=声[ショウ])、鼻(においをかぐ=香)、舌(味わう=味)、身(身体で感じる=触[ショク])、意(心で思う=法)においても、すべて〈一定〉したものは何一つ無い。 故に、〈一定〉した眼界(目に見える世界)も無く意識界(心の世界)も無い。また、無明(真実がわからないこと)も無く、そしてまた無明が尽きるということも無い。また、老死という〈一定〉した状態も無く、そしてまた老死が尽きるということも無い。 そして、苦集滅道(=四諦〔お釈迦様がお説きになられた悟りを得るための一つの修行方法〕)も無い。また、知る(智)ということも無く、得るということも無い。宇宙は、全く何も得るところのものが無く、すべては完全円満に成り立っている(完成している)のである。 菩薩(ボダイサッタ)は般若波羅密多の智恵によるが故に、心にこだわり(執着)が無く、こだわり(執着)が無いがためにまったく恐怖というものが無い。そして、一切の悩みや苦しみ、迷いや不安というものが無くなり、涅槃という無上の悟りの極地に到達されたのである。 そして、三世の諸佛は、般若波羅密多によるが故に無上の悟り(アノクタラサンミャクサンボダイ)を得られたのである。故に知るべし、般若波羅密多は、大神呪であり、大明呪であり、無上呪であり、この上なき有り難い呪文なのである。 これは、すべての悩み苦しみを除くものであり、これは嘘偽りのない真実なのである。 お釈迦様は、般若波羅密多の呪文を説いてもうされた。 『ギャアテイギャアテイ、ハラギャアテイ、ハラソウギャアテイ(ありがとうございます、ありがとうございます。真にありがとうございます。真に真にありがとうございます。)ボディソワカ (悟りを成就させていただくことができました。真に心の底から感謝させていただきます。)』 般若心経。 もう少し続きます。m(__)m 今日も1日ありがとうございました!!m(__)m 皆様、おやすみなさい!!(+.+)(-.-)(__)..zzZZ ひろ |
『さあ/\尋ねる処/\、身上から一つの理、順序から運ぶ/\。さあ/\言葉と言葉の理を運ぶ/\。長々の処、又順序は運ばにゃならん。なれどこうせにゃならんという事は無いで。さあ/\内々の処、又々それ/\の処も、人間の心で運ぶ道もある。よく/\伝えて置かねばならん。』(M21.05.26 おさしづ〔神様のお言葉〕) 皆様、おはようございま~す!!(^○^) 今日も1日よろしくお願いします!!m(__)m ひろ |
「『般若心経』の訳(現在の僕の悟り)Ⅰ」 天理教 観音様(観自在菩薩)が、深く悟りの行(般若波羅密多)をなされていた時、すべてのものは『空』であるとはっきりとお悟りになられて、すべての苦しみや悩みを解き放つことに成功なされた。 我が弟子たち(舎利子)よ、色は『空』と別のものではなく、『空』は色と別のものではない。物質・物体は、刹那刹那(一瞬一瞬)に変化している波動体でありエネルギー体なのである。そして、『あるがまま』の姿が『空』の本質なのである。 そして、感じる(感受する)ことや想うこと、行動すること、認識するということなどもすべて同じく『空』なのである。 我が弟子たち(舎利子)よ、故にこの宇宙のすべてのものは『空』という“相”をもっている(波動体でありエネルギー体であるが故に、ずっとそのままだという〈一定〉したものは何一つとして無い)。故に宇宙のすべてのものは、あるがままに存在し刹那刹那に流動している波動体・エネルギー体なのである。 故に、生じるということも無く滅するということも無い、また汚れる(垢)ということも無く清らか(浄)になるということも無い。また、増えるということも無く減るということも無い。 つづく 今日も1日ありがとうございました!!m(__)m 皆様、おやすみなさい!!(+.+)(-.-)(__)..zzZZ ひろ |