好きになると 自分が変わる 好きになると 一歩 また 一歩 近づきたくなる 自分のことを 知ってもらいたくなる どんどん どんどん 加速する想いがあって でも それは自分独りだけだったら 悲しい 好きなひとと一緒に 走っていけたら 楽しい 全力疾走ばかりでは 疲れてしまうのだけれど 時には ゆっくり 時にはダッシュ いろんな歩幅で進んでいく 時には 立ち止まりながらも ひとを好きになることを やめないで 自分の心を開いて 好きなひとの心へ 一歩踏み出す 勇気を持とう |
今、テレビで映画の「電車男」がやっていて。 そのあまりの単純さ(笑)というか、微妙なリアリティを感じて、ちょっと微笑ましくなったりもする。 実際、よーし!って思い立つひとがいるかもしれないけれど。 現実はというと・・・。 そう簡単なものではなく。 応援してくれるネットの住民が誰にでもついているわけではない(笑) 自分で自分を奮い立たせて進むしかない。 ドラマみたいな恋愛なんて、ないものだけれど。 ないーと決めつけてしまうこともない。 毎日の日常のなかで、ドラマは必ずどこかにある。 恋愛だけが人生ではないのだけれど。 ドラマのような恋愛をしてみたいと思うのなら。 思い描くドラマは、どこかにあるかもしれないぞ。 |
ネットでの出会いの場合。 最初はメール、そして電話、そして実際に会うというステップを踏んでいくのだが(途中をカットして一気に会うまで行くパターンもあるのかな?)実際に、ネットを越えて、オフラインで人と会ったことのあるひとがどのくらいいるのか、ちょっと興味があったりもする。 わたしも何度か人と会った経験があって。 初回はけっこう気合いを入れて(笑)行くものだけれど。 その後につながるかどうかに関しては、なんともいえないものがある。 女性の考え方と男性の考えでは違うのかもしれない。 やっぱり、知り合ってすぐに会おうっていうのは無理だけれど。 ある程度、会話をして仲良くなれそうだったら、次のステップへ進みたくなるもので。 そこで、会うことになったとする。 で、思うのは・・・外見とかで「ああ、ダメだ」ということは今までない。もちろん、好みの顔とかはあるけれど、それはあくまでも理想だとか 、こうだったらいいな~みたいな、自分の勝手な思いこみみたいな(笑)もので。 自分の好みを相手に押しつけたりってことはない。 たとえ、相手が全然自分の理想や好みと違っていたとしても。 そこで終わりにするのは、相手に対して失礼だし、自分だって相手にしてみたら、NGかもしれないわけで。 どちらに主導権?があるとかないとかではなく。 外見でゴメンナサイする、されるっていうのは、どうにもいただけない。 食わず嫌いって言葉もあるように。 ダメなことをすぐにダメと決めつけずに。 まずは、ネットを飛び出したんだから。 オフラインで、ネットでの時とどう違うか、同じなのか?いろんなことを話してみてから考えればいい。 初回でゴメンナサイーする時。 外見ではなく、他に理由がしっかりあるんじゃないかなぁ~と思ったりする。 |
恋愛モードになると。 好きなひとにベッタリ・・・・とはいかないまでも。 わたしは好き好き光線が出まくってしまうタイプでいけない。 恋愛には駆け引きが必要、追うのではなく、追わせましょう・・なんて書いてある本を読んだりもするけれど。 わたしは駆け引きができないタイプ。 好きになってしまうと、とにかく、好き♪って言葉が自然に出てしまう。 好きだと自然と笑顔になってしまう。 にへら~って顔になってしまうのだ。 まったくもって、しまらない(笑) 甘えたがりのくせに、甘え下手。 でも、好きになると、押してしまう。 相手がそれで引いてしまったら・・・と思っても。 好き好き光線が出まくって、押さえることができない。 自分が好きだからといって。 相手が同じように好きかどうかはわからない。 できることなら。 自分が相手を思うように、相手も自分を好きでいてくれたら。 どんなに幸せなことだろう。 |
何度も書いているのだけれど。 ネットの出会いは、メールからはじまるため、どうしても先へ進むのに時間がかかってしまう。 ある程度、会話を重ねて、次の段階へステップアップしていくわけで。 その次のステップへ行けるかどうかは、やっぱり、自分なりの勇気が必要。 まず、相手に好意をもっている、相手のことをもっと知りたいし、自分のことをもっと知って欲しい・・・というのを、さりげにアプローチすること。 相手に自分を知ってもらうことからはじめないと。 いつまでも、敬語口調で会話しているようでは、仲良くはなれない。 もっと気楽に。 もっと気軽に。 仲良くなりたけれど、少しずつ自分を出して、相手に親しみを抱いてもらえるように努力しなければ・・・。 最初からタメ口調では、さすがに引いてしまうとは思うけれど。 いつまでも相手を待っていても、出会いは前へ進めない。 悠長にメールをやりとりしている間に、気になる人は別の誰かと次の段階へ進んでいるかもしれない。 メル友が欲しいのならば、ゆっくりでいいかもしれないけれど。 どうして自分はメールをもらえないのかな?返事がこないのかな?と思ったら、自分のメールを読み返してみる。 どこか、なにかが足りないのかもしれない。 どうしてかなぁ・・・と、まずは自分自身を振り返ってみること。 それも必要。 |
ネットでの出会いでは、メールのやりとりってとても大事。 メールが続かないのは、それなりの理由がある。 まずは、自分が読んで楽しいと思うかどうか?を考えてみる。 自分が楽しく、自然な笑顔になりながらメールをしているのなら。 相手もきっとそのメールで笑顔になるはず。 でも、自分が読んでいて、少しも笑顔にならないようなら。 そのメールはただの独り言みたいなもので、可哀想。 相手を想像しながら書くことが大事。 メールで笑顔になるのなら。 実際に会って話してみても、相手と笑顔で話せるはず。 |
第一印象で終わってしまうこともある。 せっかく、ネットから飛び越えてオフラインというリアルで出会えても。 その先に進まず終わってしまうこともある。 相手のことがわからない段階で、結論を出してしまうのは、もったいないことだけれど。 残念ながら、どうしてもダメだと思ってしまうこともあるとは思う。 一番、つらいのは、外見で判断されてしまうこと。 写メ交換をしていても、実際に会うのと、写真とではやっぱり雰囲気なんかも違うわけで。 自分が想像していた相手のイメージと違っていて、そこに違和感を感じてしまったら。 そこが気になって、その部分で「もうだめだ」と思ってしまうのかもしれないが。 外見で判断されるのは、正直こたえるもの。 外見ではなく、会ったときの振る舞いに、相手への思いやりがなかったりすると、そこで終わってしまうこともある。 それは外見うんぬんではなくて、内面の問題だ。 どこがいけなかったのかは、自分で気づくしかない。 第一印象で人を判断することは、判断されるのは。 物事の一面しか見ていないということだ。 直感で、相性を判断することが正しいこともあるけれど。 やっぱり、人間って10分や1時間ではわからないもの。 自分だって、自分自身をよくわからなかったりするもので、ましてや、全然知らない相手のことなんて、すぐにわかった気になって、判断してしまうのは、ちょっと微妙なんじゃないのかなぁ・・・。 |
好きなひとが 笑っていると うれしい 好きなひとが 笑いかけてくれると とても うれしい わたしを見て 微笑んでくれると わたしも 大好きなひとを 見つめて 微笑むから にこにこ 笑顔が2個に増えていく だから にこにこ ってなるのかも |
前に知り合ったひとは、なかなか笑わないひとだった。 わたしは一緒に笑ってくれるひとが好き。 そのひとは、どんな話をしても、少しだけ口が開くことはあっても。 大きな声をあげて笑ってくれるひとではなかった。 だから、わたしはそのひとが笑ってくれるよう、いろんな話をしたのだけれど。 けっきょく、一緒にいても楽しくはなれなかった。 わたし一人が笑っていても、寂しいだけだった。 わたしは、笑ってくれるひとがいい。 一緒にばか笑いするくらい、笑ってくれるひとがいい。 いつも笑って話を聞いてくれて、いつも笑わせてくれて。 幸せだと思う瞬間は、一緒に笑顔でいられる時間をもてるということ。 |
わたしがメールでこだわっていること。 それは、名前を呼ぶこと。 メールのなかで、必ず、相手に呼びかけるようにしている。 相手の意見や感想を求めたり、相手へのあいさつだったり・・・。 必ず、相手の名前を一度は呼ぶようにしている。 もらったメールで、困ってしまうのは。 話の内容が全部、自分で完結してしまっているとき。 自分だけの話で終わってしまうようなメールは、どういうふうにレスしたらいいのか悩んでしまう。 それに、そのメールを送られる相手は、わたしでなければいけないというものではなく、誰でもいいように感じられて、寂しくなる。 コピーメールも、相手の名前が入っていないものがあるし。 見極めのポイントは相手の(自分の)名前があるかどうか?が判断基準にもなったりする。 (ただ、名前の部分だけを変えて送ってくる人もいる?かもしれないから。そのへんは難しいのだけれど) メールって、やっぱり、相手への贈り物だと思うから。 読んでもらう相手がいなければはじまらないもの。 相手に好きになってもらいたかったら。 メールには必ず相手の名前を入れて、呼びかけることが大事だと思う。 |