知人の奥さんが数年前に癌になり、すでに3回の手術をした。昨年末から肺に水が溜まるようになり、何度も水を抜いた。その間隔が徐々に短くなり今年に入ってすでに2回行っている。つい先日二日間入院した。9年前に私が手術をした後、同室の患者が夜中に病室で水抜きをしたことがあったけれど、体を叩くような音と共にうめき声が聞こえたことを覚えている。 回復が見込めずなんとか現状維持ができればと言う状況で、光を見いだせない奥さんは苦しいに違いない。知人も苦しいに違いない。 私は、二人がどんな形でも楽になるようにと祈るしかない。 |
数字に置き換えられないものもあると思うが、人の命も戦後補償も保険金も前例とか常識と言う基準で、最終的には数字で決着するしかない。 “お金ではない。人の命は地球より重たい。”なんて言うのは、ヤクザか政治家だ。 そう言い続けたら、いつまでも前へ進めないし、最悪戦争するしかないのだろう。 ある程度の数字で、自分に決着をつけることは大切だと思う。 |
支えてくれている人への感謝 この世を去った人も含め支えてくれた人への感謝 忘れてはいけないことがあること 自分ができることがあるということ 生かされていること そんな思いを大切に 自分自身を見つめ 日々を過ごす |
今朝、20年前にある会合で毎月会っていた人に会いに行った。彼は震災前、漬物屋を営んでいたが震災で家が焼け、その直後から疎遠になっていた。 彼は以前とは全く違う…、町の古写真アーカイブの管理をしている。私は、ある明治時代の古写真の出典を探していて出会うことになったのだ。 懐かしかった。以前出会ったことに彼との縁を感じた。また、今日出会ったことにも彼との縁を感じた。 それらを踏まえ、新しいお付き合いをさせていただきたいと思う。 運命とは、そんなものだと思うのだ。 |
技術の進歩で…人が運転しなくても、目的地をインプットすれば、自動運転で連れて行ってくれる車の研究が進んでいるようだが、車の前にどうして電車が無人運転にならないのか不思議に思う。私たちの町では1980年に日本で初めて無人のモノレールが実用化された。技術も当然格段に進歩しているだろうし、道路の道を走るよりも軌道車のほうが容易に思う。 そのことで、人間の仕事が一つなくなることは問題だが、数百人の命をも委ねられるくらいに科学技術は進んでいるように思う。 今朝、原因不明の信号機の故障で15分延着した電車に乗っていて、そう思った。 |
会えない人は、会うのが今はまだ早いから… すれ違う人は、今会わないほうがいいから… 思わぬところで出会う人は、今会う必要があったから… 会いたい人から電話がかかるのは、今その人と話をすることが必要だから… 出会いが必然と言うのなら、きっとそうに違いない。 |
残酷な殺し方というものがあるのだろうか? 攻撃用ヘリコプターの暗視カメラで、上空から捉えられ、本人が訳分からずにミサイルで体を木端微塵されてしまうことと…、 アメリカ本土からゲームのように無人機を操縦して、人を殺すことと…、 首を切り裂いたり、火あぶりで人を殺すことと…、 原爆で人も町も、全てを破壊することと…、 どれが一番残酷か?などと誰が決めるれるのだろう? それは明らかに殺す側の論理に違いない。 殺される側には、死はどれも同じ結果でしかないように思う。 |
昨日、町で何人もの人から声をかけられた。一人は35年振り…。私との再会を喜んだ。彼は若い時にいっぱい遊んでいたことで、昔に出会ったいろんな人たちが今の財産になっている…と、言った。 私は遊び人ではなかった。若い時にもっと遊んでおけば、もっと人脈が広がったかも知れない…と思った。 |
自分が変われるかどうか? 今は、できると思う。 夢中になれるものがみつかっている時… 極端な制約のある環境に入った時… そして、そんな状況に自分を追い込むことができれば、簡単に変われるに違いない。 今の自分は自分だけれど、未来の自分ではない。 未来の自分は、今の自分が知らない自分であるように、変わり続けていたいな。 |